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印象的な 空気人形 の「舞台装置」

English version here
「空気人形」では、普段特に意識しない身の回りにあるものが、重要な「舞台装置」として使われていると思います。
それらの舞台装置は、何かを象徴するアイコンになっている様にも感じられます。 そのアイコンが、物語の各場面に意味を持たせているように思うのです。
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湊の町と高層ビル群 家屋が撤去され、錆びた駐車機械の林立する湊[みなと]の町。  残されている家々にも赤錆が出たトタン張りの外壁のものが多く見られます。  小学校は40から50年くらい前の建物。(2008〜2009年の撮影後に改築。2012年9月から新校舎)

川向こうの高層ビル群との対比が恐ろしく印象的な町です。 町も人と同じ様に老いて行くということを表現したかったのでしょうか。

映画撮影から4年近く経ち町は変化しましたが、今でも撮影当時のままの様子は残っています。 この舞台があってこそ悲しくも感慨深い作品ができあがったものだと思います。 この町を自分の目で確かめたかったのが、ロケ地マップを作るきっかけとなりました。

私が訪ねた 2013 年の夏には、湊の町はそこここで工事中でした。 少し遅れた再開発。 湊公園も閉鎖された後でした。 夏を越えると、かつての町の雰囲気は更に失われそうです。


 湊の町と隅田川対岸の高層ビル群


 植物に覆われた家


 湊と佃の町 / リバーシティ 21
町の名前「銀町」について
物語の中では、メインステージとなった町の名前については明示的には触れられていません。

しかし、画面を見るとのぞみが最初の朝にあいさつに回った1つめの印刷屋の壁に町名表示があります。「京橋区 銀町二丁目」(0h11m40s 付近)
また、秀雄のアパート近くの2つのベンチがある公園にも「ぎんまち公園」の表示が出ています。(0h13m42s 付近)
「京橋区」はこの地域を含むかつての東京の区名と同じです。

当サイト内のいろいろな所に記述してあるように、実際の町名は「湊」[みなと]、公園は「湊公園」です。  残念ながら公園は2013年3月末に閉鎖されています。

岐阜市に銀町=しろがねまち はありますが、ぎんまちと同名の町は実際には存在しないようです。

英文表記をどうしようかと考えたのですが、ginger(生姜) とか gin(酒のジン) とかがあります。 「ジ」に近い音と間違われないように、"ghin-machi" と表記しました。 これで、正しいかどうかはちょっと怪しい。
英文ページには、発音を示す動画をリンクしておきました。 ➜ 動画リンク
ベンチ 湊公園(物語中ではぎんまち公園)と柳原東児童遊園(秀雄がのぞみを車椅子で連れて行った)のいずれも古ぼけたベンチが、人が身を寄せる場所として使われています。

現実の湊公園のベンチは撮影後暫くして新しいものに交換されました。私は実物に座ることはできませんでした。残念。 その後さらにベンチの配置が変更され、2013年の7月にはついにベンチは撤去されてしまいました。(公園は2013年3月末に閉鎖)

柳原東児童遊園のベンチは、青いペンキは塗り直された様ですがいまだに健在です。(2013-07)


 湊公園のベンチ (交換後)


 柳原東児童遊園の青いベンチ
隅田川 のぞみは、ビルの屋上から(0h14m43s)、湊公園の堤防の上から(0h49m27s)、隅田川テラスから(0h22m24s)、そして水上バスの上から(0h59m11s)、いろいろな場所から流れて流れ行く隅田川を眺めます。

場面の切り替え時にも、高い場所から湊の町と隅田川を俯瞰する画が使われています。

ゆっくりと流れる時間の中で人もモノも変化してゆくのだよ、と暗示しているのでしょうか。


 のぞみは隅田川テラスを歩いた


 のぞみは新大橋の下をくぐった
美しいもの のぞみが美しいと感じたものがたくさん出てきます。 交番の前のプランターの花、ラムネなどのガラス瓶、造花、おもちゃの指輪、自分のプリクラ。

身体の継ぎ目をコンシーラーで隠し、その効果を桂子(年齢を気にしている受付嬢)にまで教えていたのぞみは、自分自身も美しいものとして認識していたのでしょうか。(0h41m05s)

のぞみは、道端の花や歩道の少女像、秀雄のアパートの窓際のウィンドチャイムなどにも興味を示していました。

「空気人形」の原作を見ると、たくさんの花が咲いている家の前で空気人形(原作では)が『あのおうちの人は、きっと心のきれいな人だ』と言う場面があります。 原作のエンディングでは、青空の美しさを感じることができるのは心を持っているから、と表現されます。 映画の終わり近くでは、のぞみは青いベンチにお気に入りの美しいものを並べます。(1h43m12s) そして、ごみ集積所でたくさんのガラス瓶に囲まれることになります。(1h51m59s)

美しいものを愛でることは、生きて行く上で大切なことだよ、とのぞみが言っているような…

原作は「ゴーダ哲学堂」業田 良家 著 竹書房 刊 2007年初版(文庫版)を参照。 初出は小学館発行のコミック誌「ビッグコミックオリジナル」、そこから独立して「ビッグコミックスペシャル ゴーダ哲学堂 空気人形」も発行された。


 のぞみは香る黄色い造花を
 手に取った


 のぞみは光る指輪を空にかざした
ごみ集積所 のぞみがこころを持ってすぐ、外に出た時に最初に見るのがアパート前のごみ集積所での収集風景。(0h10m48s) このごみ集積所は物語中何度も登場し、のぞみが美しいガラス瓶を見つけるのもこの場所です。 この場所は、モノにも生き物にも終わりがあることを表現しているのかもしれません。 

物語の最後でのぞみが自分の身体の中の空気で吹き飛ばしたたんぽぽの綿毛、ごみ集積所から空中に飛び出した種子は「これで終わりじゃなくてまだ続きがあるよ」と暗示しているようにも感じられるのです。(1h48m38s)


 秀雄のアパート前のごみ集積所;現実に使われていた
乗りもの のぞみを中心とする登場人物の背景に、電車や船がちょうどタイミング良く通りかかります。

こころを持った日の夕方に屋上で町を見回したのぞみが、屋上の縁に腰掛けて隅田川のほうに目をやると、ちょうど屋形船が川を上ってきます。(0h14m40s)

秀雄がのぞみを車椅子にのせて柳原東児童遊園にやってくる時、坂を上るところで地上を走る東武スカイツリーラインと高架を走る京成本線の電車がちょうど交差して走り過ぎます。(0h17m12s)

のぞみが純一と水の広場公園を歩いていると、背景にゆりかもめが通り過ぎて行きます。(0h34m54s)

のぞみは秀雄のアパートから「家出」して柳原東児童遊園にやってきます。 秀雄が捜しに来ますがのぞみは支柱の陰に隠れます。 その時ちょうど京成本線の上り電車がやってきます。(1h21m29s)  引続き下り電車も通り過ぎます。

これだけタイミングよくフィルムに収めるのはたいへんだったことと思います。

ところで、柳原東児童遊園でのぞみが支柱に隠れるシーンでは、上り電車の動きに合わせて支柱が明滅する光に照らされ、臨場感がさらに増します。 この光の明滅は電車からのものではなく、撮影スタッフがライトで作ったものでしょう。 なぜならば、電車から離れている場所にもかかわらず反射光が強すぎるのと、下り電車が通過する時には同様の支柱への照り返しが全く見られないからです。

日常的な乗り物を特に意識して取り込んだ撮影で、より臨場感や現実感を高めることに成功していると感じました。


 湊公園横を走る水上バス ヒミコ


 水の広場公園脇を走るゆりかもめ